長   浜

解説

和名抄、能登国能登郡に長浜郷あり、又、羽後、越後、武蔵、伊豆

近江、石見、備前、伊予、土佐、豊前、肥後などにこの地名あり。

 

国土基本地図に56ヶ所あり。

 

1、丹党 武蔵国賀美郡( 児玉郡)長浜村より起る。七党系図に「丹党、安保実光の弟

     信光、長浜三郎」とあり。

     又、新編風土記 長浜村條に「当国七党系図、丹党の内、安保刑部丞実の弟を

     長浜三郎信光と称す。安保は郡内、元安保の人なれば、信光は当所に住して、

     在名を名乗りしものなり」と。

     又、風土記稿に「賀美郡金窪城(金窪村)は村の北にあり。古へ、新田義貞の従軍

     長浜六郎左衛門の居城なりと云う」とあり。

2、清和源氏義光流 武田信国を祖とす。諸家系図纂に「武田信守−信昌−(長浜) 信国(二郎、

     刑部大輔、名を信実と改む、信虎と和せざるによりて国を去り、近江国長浜に住す)」と

     あり。信国は信虎の叔父なり。

3、羽後の長浜氏 由利郡長浜村より起りしか。羽前酒田の名族にして、庄内物語に

     「藤原秀衡の妹 徳尼公に随従して当地に来る」と伝う。

4、播磨の長浜氏 播磨鑑に「飾東郡山城構居(黒田庄山崎村)は、長浜河内守長秋の旧居。

     天正の頃の人なり」とあり。

     又、「八重畑構居は長浜五郎の居城」とあり。

5、桓武平氏 薩摩国河辺郡硫黄島の名族にして、当島 熊野権現の社司 長浜氏の系譜に

     「祖先は平氏の苗裔にて、京都の乱を避け この地に落ち来り 遂に島の守護となる」とあり。

     又、権現の社記に「治承元年、平判官康頼、丹波少将成経、法性寺執行 俊ェ等、

     この地に流さるる際、熊野神を請じ、後、俊ェ、当社を建立す」とあり。

     社家 長浜系図に「先祖 長浜権之丞吉延は、島津義弘、同 家久の朝鮮の役に従いて、

     武功あり」と。その後、長浜頼母あり。

6、他


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