宮   村(ミヤムラ)

解説

羽前、武蔵、下総などにこの地名あり。

 

国土基本地図に17ヶ所

 

1、藤原姓 肥前国彼杵郡宮村より起る。当村 正蓮寺 大阿弥陀如来 腹内の銘文に

     「時に永正五年七月下旬吉日、肥前国彼杵村 宝杵山妙音寺住山、作者 有池叟。

     大檀那 宮村能登守通貞。大願主 大安住山令玄首坐これを誌す」とあり。

     又、郷村記に「当村は 応安の頃より、宮村駿河守藤原通景、同勘解由太夫通茂、

     同掃部介通治、同彦五郎通?、同江上弾正忠藤原通宣の領地なり。その後、永正の頃には

     同能登守通定」とあり。

     又、士系録に「宮村(澤勢)。藤原姓、宇都宮弥三郎後胤 通定(宮村能登守、宮村地頭、

     文明十二年、純伊公・加々良島より御帰郡の時、川棚村三越浦にて奉迎)−空真坊(

     戦死の後、嬉野に至る。兄弟有り不詳。この後、三世 山伏となる)−阿成(日蔵坊)

     −阿乘泉識坊(多羅山阿金法印を師とす)」とあり。

2、桓武平氏 河越二郎重時の後にて、景重を祖とす。家紋、丸に折鐙、揚羽蝶。

     次郎四郎玄寿(永庵)は小児科医にて幕府に仕う。

3、橘姓 土佐国の名族にして、楠正成の裔と云う。

     土佐郡森郷の士に宮村越後正あり。家紋、菊水。

4、他


* 「ルーツ発見・名字の由来」のトップページに戻る