松   木(マツキ・マツギ・マツノキ)

解説

越前、三河、備前、伊予などにこの地名あり。

 

国土基本地図に29ヶ所あり。

 

1、度会姓 伊勢の名族、外宮の祠官にして、度会系図に

     「岩淵彦章(一禰宜)−清章(四禰宜)−氏彦(一禰宜、松木)」とあり。

     後裔数家に分かれ、外宮正員禰宜、及び代々 権禰宜として勢力あり。明治に至り、

     松木美彦は、名家の故を以って男爵を授けられる。その嗣 章彦なり。

     三河国渥美郡の伊良胡明神は、長く松木神主の支配なりき。

2、藤原北家 雲上家の称号、中御門家の別称にして、諸家系図纂に

     「中御門頼宗( 松木)」とあり。

     又、豊鑑には松木侍従宗澄の名あり。

     江戸時代 四百四十一石余、明治 三百十二石余、松木宗隆は、伯爵に列せられる。

3、武蔵の松木氏 多摩郡の名族にして、松木村より起る。 新編風土記に

     「松木七郎師澄の墓は地蔵堂の南にあり。五輪の石塔なり、碑面に永和二年の字かすかに

     見ゆ。この当主の伝わる所を聞くに七郎師澄は、藤原氏にして鎌倉公方 足利持氏幕下の

     士なり。云々」とあり。

4、桓武平氏千葉氏族− −総州の名族にして千葉支族系図に「本庄盛胤の子 胤基(松木九郎)」とあり。

5、駿河の松木氏 −戦国時代、甲州から駿府に来る、初代は今川氏真より蔵役・酒役・諸商売役の

     免許を受け、二代目は武田家から諸役免許の朱印状を受ける。江戸時代になり、五代 松木

     新左衛門宗周は、手広く商売を広げ絹布、木綿、米穀、材木、醤油の製造までする今日の

     総合商社に育て上げ、元禄十年(1697)江戸上野のェ永寺の造営工事を紀国屋文左衛門と

     共同で請負い巨万の富を得る。晩年、遠州三方原の開墾と九州日向国の原野開発につまづき

     没落す。

6、越前の松木氏− −当国坂井郡松木村より起る。朝倉家の時、高田門徒一揆の将 松木宅如と云うは

     専光寺の事にて、寺説に宅如は朝倉家の族類なりと云う。その後、加戸村に移りて松樹院と

     号す。

7、新居氏族 伊予国越智郡松木村より起る。予章記に

     「正平二十四年、新居郡発向、宇摩郡御出座、生子山 松木、宇高、少々参ず」とあり。

     又、下って天文中、生子山 城主松木参河守あり。

8、清原姓 豊後清原系図に「飯田三郎大夫通次−二郎通貞−貞時(松木太郎)−家時」とあり。

     而して図田帳に「玖珠郡飯田郷 桐藤名六町五段(新庄と云う) 地頭職 松木三郎言光」とあり。

9、藤原南家相良氏族 肥後国の名族にして、相良系図に

     「弥三郎頼広−長俊(民部少輔、称す 松木)」とあり。

10、他


* 「ルーツ発見・名字の由来」のトップページに戻る