益   子(マシコ) 

解説

数流あり。

栃木県芳賀郡にこの地名あり。 

分派氏族

 

1,紀朝臣姓 下野国芳賀郡益子村より起こる。紀古佐美の末葉 紀八郎貞頼の孫

       正隆、益子城主となり、益子を称す。系図は

       「贈従二位大納言 紀古佐美卿十五世、常陸国信太郡司 紀貞頼 嫡孫 正隆┐
       ┌――――――――――――――――――――――――――――――――┘
       └正頼−正重(文治五年、奥州征伐の時、武功を顕わす)−宗重−朝貞┐
      ┌――――――――――――――――――――――――――――――――┘
      └越後守貞重−出雲守貞正−出雲守勝直−勝貞−勝秀−勝光┬勝家−紀一丸(応仁三年害さる 五才)」
                                 └正光┐
      ┌―――――――――――――――――――――――――――――┘
      └信濃守勝宗−安宗=家宗(天正十七年、三月二十日、宇都宮家に叛して討死にす。廃城)

 

2,常陸の益子氏 上記益子氏は、当国にも移り、天正の頃、新治郡(那珂郡)

       中里に拠る。

       天正四年、益子四郎重綱は、宇都宮氏に叛いて、結城政勝に降り、同九

       年、笠間左衛門尉幹綱と戦いて敗北し、地を納れて結城晴朝に援を乞う。

       又、野史に「益子筑前守正光(入道睡虎)、宇都宮国綱に殺さる」と。

       又、鍋掛菊地系図に「大子村 益子右近」とあり。

3,他


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