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間 部(マナベ) |
解説 |
数流あり。 |
分派氏族 |
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1,藤原北家 − − 藤原山陰の曾孫 季隨より出づ。その男満任、塩川氏を称し、その
十三世孫 満永、尊氏に属す。その九世・塩川伯耆守信氏、三河に到り、
松平清康に仕う。その子 信行、その孤子 刑部詮光、間鍋(真鍋)主馬
兵衛に養われ、その氏を使用す。後 その五世 清貞の時、星野を称し、
西田に改め、更にその男詮房に至り間鍋に復し、間部に改む。
詮房、六代家宣に仕えて 側用人となり、次第に身を起こして、老中格
となり 領土も次第に増して、遂に上野高崎、後 越後村上に封ぜられ
五万石を領す。次の詮言の代、享保五年越前鯖江に移る。 系図は
詮房−詮言−詮方−詮央−詮茂−詮熈−詮允−詮勝−詮実−詮道−詮信 越前鯖江五万石 家紋 丸に横三引、三銀杏、明治 子爵 |
2,伊予の間部氏 − − 芸藩通志、広島府故家條に「矢賀村地方 宇高氏、先祖 間部
太郎右衛門は、伊予 宇高村の人、因って氏とす。慶長十七年、ここに
来住し、里職を世々にす。今、常吉まで九代」とあり。
3,他
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