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前 田(マエダ) |
解説 |
尾張 常陸
岩代 陸前
羽後 丹波
讃岐 薩摩
大隅などに此の 地名あり。その他 諸国にこの地名ありて数流の氏を起こす。 国土基本地図に153ヶ所あり。 |
分派氏族 |
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1,橘姓 −
− 摂津国西須磨の名族にして、神功皇后御征韓の頃より子孫連綿として
続くと云い、又、天応の頃より続けりと伝う。前田左衛門を襲名、六代
に及び、作十郎の称 十余代に至る。凡そ六十代も続き、菅公左遷の際、
慰め申し駅長 橘季祐もこの家人なり。
又、太閤時代に前田又三郎なる者ありとぞ。
2,大和の前田氏 − − 吉野の名族に有り、
十津川郷鎗役由緒書きに「風屋村 前田弥右衛門」を載す。
又、幕末明治に前田隆礼あり、勤王の士にて、後 陸軍中将たり。
3,菅原姓高辻家流− − ェ政系譜に「高辻中納言長雅−参議遂長−侍従長純−大納言
豊長−長量−信濃守長春(前田祖)、家紋 剣梅鉢、斧菊、三階松」と。
又、菅原姓五條家末流で、延宝の頃、御家人の源左衛門安直の家紋は、
梅鉢なり。
4,藤原北家押小路流 − −押小路大納言 公音の二男出雲守玄長・元禄十五年、幕府
に仕え前田を称す。高家、千四百石。その男「出羽守房長−隠岐守清長
−帯刀珍長−敏之助長皓」にして、家紋 剣六丁字、唐鳩酸草。
5,藤原姓 − − 幕臣に「近衛家臣 前田勘解由政直−政房(ェ永
御家人)、
家紋 十枚重桧扇、三階松」。又、
「前田與右衛門光吉−光清、家紋 丸に井桁、剣花菱、丸に四目結」
などあり。
6,丸子姓 − − 中興系図に「前田。丸子姓、本国伊勢」とあり。
熊野新宮 宇井判官兼純の後裔 民部重次、伊勢国安濃郡前田村に住し、
この氏を称すと。ェ永系図には、
「初め宇井、後 伊勢前田、丸子の姓と称す」とあり。
織田信雄家臣「前田五右衛門安久(後 家康に仕う)−定勝、弟 定良
−定時、家紋 丸に丸文字、下稲打違の内に丸文字、稲穂丸に丸文字」。
7,伊勢穂積姓 − − 上記と同族なれど、穂積系図には
「鈴木二郎右衛門佐重基−基義−信氏−郡司信基(伊勢 前田祖)」とあり。
8,伊勢の前田氏 − − 蟹江城守に前田與十郎種利あり、佐久間正勝の母方の叔父に
して、織田信雄家臣なり。
又、関 長門守侍帳に「百五十石 前田兵左衛門」などあり。
9,利仁流藤原姓 − − 美濃国安八郡前田村より起こる。
「斎藤斎宮頭 叙用の裔 為頼の後、斎藤伊予守玄基の孫を前田孫四郎利世と云う」と、見え、 |
又、「叙用の後裔 彦九郎季基、安八郡前田にありて家号とす、その
子孫 左近将監基光 これ徳善院玄以の父なり」とあり。
中興系図に「前田。本国越前、斎藤伊予守玄基の男 右衛門尉季基 これを称す」とあり。 |
10,尾州菅原姓 − −前田玄以系図に
「菅原道真−淳茂(右中弁)−在躬−輔正−為紀−肥前守忠貞(尾張国 前田に住す)−尾張守仲章−仲国−仲房−仲行−行忠−忠房−忠光−忠俊−仲俊−忠隣−忠親−忠章−忠光−仲光┬仲広(大学頭・大納言利家の祖) |
11,亀山侯 − − 玄以、秀吉に仕え 丹波亀山五万石を領し、五奉行の一人なり。
玄以┬主膳正茂勝(狂気して領土没収、家紋、花橘、五七桐、撫子) |
12,加賀侯系図 − − 利家の先祖の出自は諸説あり。愛知郡一楊荘の荒子村の豪族説、美作菅原家説、
菅原姓原田氏説、斎藤流(第9項)説とあり。
前田系図に、「菅原道真裔、家紋 梅輪内、秀吉の時、菊と桐とを賜う。
利昌(蔵人、尾州海東郡 荒子城主)−利家(又左衛門・生国尾張)」と。
ェ政系譜に
利昌−利家┬利長=利常――――┬光高−綱紀−吉徳┬宗辰=重熙=重靖=重教=治脩┬=斉敬 |
13,富山侯 − − 利常の次男 利次の家にして、系図は上の如し。
14,大聖寺侯 − −利常の三男 利冶の家にして、系図は上の如し。
15,七日市侯 − − 利家の四男にして、系図は上の如し。
16,相模の前田氏 − − 横須賀の名族 前田市右衛門は、徳川時代初期、武州江戸
より来ると云う。
17,桓武平氏大掾氏族 − − 大掾伝記に「常陸の名族にして、吉田次郎盛朝の後」と云う。
18,羽後の前田氏 − − 仙北大曲の城主にして、天文の頃、前田又左衛門尉道信あり。
その男 又二郎利信(薩摩守)、その男
左兵衛尉にして、大宝寺文書に前田薩摩守を
載せ、永慶軍記に「仙北大曲城主 前田又左衛門道信は、小野寺氏幕下の将なり。
天文元年、由利の赤尾津、羽川と戦い、流れ矢に当って死す。その子 又二郎、天文
十年、由利に働き、赤尾津、羽川の館に押し寄せ、牛角にして帰陣す。これを
始として毎年、羽川、赤尾津と戦い、終に元亀三年、赤尾津左衛門を討取り、天正
二年に羽川二郎を討取り、年来の鬱憤を散じたり。その後、天正十年に至り、
仙北衆の上洛の隙をや伺いけむ、赤尾津の一子 二郎、羽川の一子 金剛丸を大将
として、由利勢、大曲の城を攻め落とし、前田兄弟は神宮寺の城に引き取り、後、
終に滅亡す」とあり。
19,丹波の前田氏 − − 丹波志 氷上郡條に
「前田氏。子孫 鴨門村、先祖は天正年中、沼村城主 芦田出雲守に仕え、落城後、
前田立慢と云う」とあり。
又、矢田郡條に「前田和泉(今、大槻氏)、子孫
前田村。下前田に古屋敷あり、今は
畑となる。和泉は、地士なり。弟は植村豊後と云う」とあり。
20,紀伊の前田氏− − 続風土記、海部郡加太荘條に「加太村 延喜式神名帳 名草郡
加太神社、本国神名帳海部郡従四位上 粟島大神 神主 前田氏。明暦記
に云う、粟島神主の家は大昔より女の血脈にて伝わり、代々入り婿なり
と云う。その頃までは かく有りしなるべし。その後は その事止みて常
の家の如し」とあり。
又、在田郡市場村に前田氏あり。「先祖は、畠山の家臣にして、永禄年
中、石垣の荘に住し、落城の後 農民となり、当村に住す」と。
21,紀伊穂積姓 − − 中興系図に「前田。穂積、本国 紀伊、紋、稲穂丸、同丸字、丸の内に丸。
鈴木宇井判官兼綱の男 大隈守兼家これを称す」とあり。
22,讃岐の前田氏 − − 当国山田郡前田村より起る。全讃史に
「前田城、城跡は、今、薬師堂となる。前田頼母助光成ここに居る、十河氏の
麾下なり。天正の頃、前田甚之丞なる者あり、土兵、西尾城を攻む。甚之丞、譖に
土佐営に入り馬を奪い谷に隠れる。今に匿馬谷と云う」とあり。
又、補遺に「前田東村城、山田郡前田村にあり、前田甚之丞ここに居る」とあり。
23,肥前の前田氏 − − 当国杵島郡の名族にして、鎮西要略、文亀二年條に
「前田氏、千葉胤治に属す」と。
又、有馬世譜に「佐留志の住人 前田志摩守」を載せ、「天文の頃、有馬に属す」とあり。
又、肥陽軍記に「佐留志の前田伊予守」とあり。
又、「永禄六年、杵島郡横邊の首長 前田、伊木など、隆信に属す」とあり。
24,肝付氏族 − − 二代 兼経の三男 兼明 後に前田を領して、氏とす。
25,薩摩の前田氏 − − 鹿児島藩士に見え、又、種子島の士 前田宗周の男 十九郎
宗恭は、歌人にて、紫洲と号す。
26,他
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