倉   持

解説

上総、下総、常陸、磐城などにこの地名あり。古代の車持部(クルマモチベ=天皇、並びに神祗の乗物の制作、管理を職業とする)

関係有り。

後世、彼らの住みし地に地名ができ、これ等の地名を以って氏とす。

 

茨城県真壁郡明野町、埼玉県北葛飾郡杉戸町、佐賀県多久市に

この地名あり。

 

1、菅原姓 越後国蒲原郡の名族にして、本姓 菅原氏、治承年間、倉持宗吉あり。

     加茂社発掘(宝暦七年)の経筒に「治承二年十月二十四日、倉持宗吉 菅原氏」とあり。

2、岩磐国の倉持氏 −岩磐岩城郡に蔵持村あり。当地に倉持氏存す、車持氏の裔か。

3、常陸の倉持氏 当国真壁郡に倉持村有り。仁和二年六月記に「常陸国郷造神に従五位下を

     授け奉る」とあり。今なお倉持村に在り。郡郷考に「倉持は即ち車持なり。姓氏録に車持公は 

     豊城命八世射狭君の後と。郡に伊讃郷あり、即ち、射狭なり。蓋し、射狭の君 功あり、

     よりてこれを祀りて、郷造神と称するか」とあり。

4、下総の倉持氏 当国岡田郡に蔵持村あり。車持氏のありし地なり。後世 猿島郡矢作郷士に

     倉持氏あり。鶴眼氏云う

     「倉持氏は、万年山東陽寺 薬師如来縁起によれば、応永三十年以前、既にこの地に於いて、

     武功をたてたる一族なる事を知られ、北村 鎮座の香取社の棟札に『文明十五年、大檀那

     倉持慶俊』とあるによりても、その著姓なる事を証せらる。『蔵持』と書すは誤りなり」と。

5、他


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