木   崎

解説

武蔵足立郡に木崎庄あり、その他 陸奥、越後、信濃、上野、常陸、尾張、伊勢、肥後、日向にこの地名あり。

 

福島県相馬郡新地町、千葉県山武郡大網白里町、同 東葛飾郡沼南町

茂原市、福井県小浜市、同 敦賀市、山口県山口市、同 熊毛郡

上関町、熊本県上益城郡益城町、大分県下毛郡三光村、鹿児島県

大島郡瀬戸内町、同 大口市にこの地名あり。

尚、長崎県南高木郡口之津町のは「キノサキ」なり。

 

1、若狭の木崎氏− −百合文書、若狭国注進 先々源平両家 祇候輩交名に木崎七郎大夫基定あり。

       後世 官社私考に「小浜の市長に木崎幸敦、字は藤兵衛とて古事慕ぶ翁のありける」と。

2、武蔵の木崎氏 北條氏照の家臣に木崎平次郎あり。新編風土記 多摩郡條に

       「木崎氏(上成木村)、先祖を木崎治部と云う。法名は慈眼敦参鶴度大禅定門。この人

       齢 二百三十才にて行方を知らずなりし故に、その出し日をもて忌日とはなせる、

       自作の像を残し置きたるは今 慈眼院にあり。この人より二十五代を経て、今の

       次右衛門に至れる。天正年中より石灰を制す」とあり。

2、陸奥の木崎氏 −当国北郡木崎より起こるか。津軽藩 大浦右京亮光信の隨臣にこの氏あり。

3、後醍醐天皇 筑後の名族にして、その系図に

       「光盛(後醍醐帝の皇子 義光の子)−光親−親重−高親−光治−光貞−貞興−光直−勝延−光延

       −光則、弟 延好(秀吉公 薩摩国 発向の時、罪有り、よりて食邑を除かる。高良山に住す)

       −秀光、弟 光堅−光正−忠親−重長−木崎右衛門」とあり。

 

       

4、他


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