岸   田

解説

大和 以下この地名多し。

大和国山辺郡に岸田村あり。

分派氏族

 

1,大和の岸田氏 当国朝和村大字岸田より起こる。至徳元年四月の大和武士交名に

       「岸田殿」と。

       又、筒井時代、山辺郡に岸田伯耆あり。郷土記に「岸田伯耆、筒井順慶

       定次に仕う。伊州阿保にて二千石。蘇我石川麿の子孫」とあり。

2,木下氏流 因幡国八東郡の名族にして、因幡志、見槻西谷村條に

       「当村岸田源四郎は、半棚城主の末裔と云う」と。

       又、「木下備中守の遺子、氏を改め岸田と云う。家紋、丸の内に二引。半棚の城主に

       あらず、若桜の城主 木下備中守の流裔なるべし」とあり。

3,伊賀の岸田氏 岸田伯耆守あり。その城址は、阿保村宇上の代に存す。

       名所記に「知行八千石、阿保町の南の山際にあり。これ伊賀守定次の与

       力として秀吉公より附けられここに住す。後に秀頼公に仕えし士なり」と。

       又、三国地誌に「筒井伊州、この国の宰相たる時、命を受けてここに

       居守す」とあり。

       伊賀考には「順慶 与力の岸田伯耆ここに住す。即ち、三千石を領す」と。

4,他


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