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春 日 部(カスカベ) |
解説 |
御名代部の一種にして、上古以来多いに栄える。 尾張国に春日部郡(今、春日井)あり。 数流あり。 |
分派氏族 |
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1,紀姓 −
− 武蔵国南埼玉郡粕壁(春日部)より起こりしか。紀氏系図に「長谷雄
−淑信−在昌−伊輔−為任−頼任(摂津守)−頼季−守隆(摂津守)
−実直−実高(春日部)−実平−実季(宝治の年、誅さる)−行景(春
日部左衛門)」と。
2,下総の春日部氏− − 延元元年八月三十日文書に「上総国山辺南北、並びに下総国
春日部などの地頭職、春日部判官重行跡、若法師の知行、相違あるべか
らず云々」と。
3,名和氏流 − − 古代伯耆に春日氏あり、その遺跡を継ぐ。名和系図に
「行盛−行貞−信貞(因幡守)−高貞(春日部新判官、正平十年五月二十
一日、伊賀国にて討たる)」とあり。
4,伊勢平氏 − − 伊勢平氏富田三郎進士家資の後にて、家資、源家に捕虜にせられ
しも、頼朝勇武を惜しみて本州に流す。後、姓を春日部と改む。子孫
近郷十余村を領し、千種氏に属すと伝えらる。俊家に至りて織田の兵に
攻められて降りる。永禄十一年とも天正年間とも云い、俊家、一説に
時家と記すとぞ。
伊勢国朝明郡に萱生城あり、当城は、三国地志に「北勢一の要害なり。
隼人正 春日部宗方、始めてこれを築き、数世居守、大膳亮(或は伊予守)
俊家の世に当たって、天正六年九月、織田氏に廃せらる」と。
5,星川姓 − − 伊勢国員弁郡に星河の地あり、三国地志に
「星河堡、按ずるに春日部若狭守歴世居守、これ萱生の一族なり」と。それならば
上記と同族なれど、同書また星川神社條に
「城主 春日部某、紀氏の族にして星川氏と同族なり」とあり。永禄中、織田氏に
攻められ滅亡す。
又、河曲郡山辺に春日部氏あり、里長 左衛門、源頼朝に名馬を献上す、「イケツキ(
イケズキ)」これなりと。頼朝 深くこれを喜び、右馬左衛門に補す。その宅跡
今に存すと云う(勢陽雑記、五鈴遺響)。
6,美濃の紀姓春日部氏 − − 東鑑、弘長三年八月二十五日條に「春日部左衛門三郎泰実、
美濃国指深庄の地頭職を召し放たる。これ当所の沙汰人 地頭某 非法あるの由、
訴え申すによりてなり云々」とあり。
7,土佐の春日部氏 − − 東鑑 文治三年三月十日條に「土佐国住人 夜須七郎行宗、壇ノ浦の
合戦の時、云々、彼時は、春日部兵衛尉と同船す」とあり。
8,武蔵の春日部 − −南埼玉郡に粕壁町あり。粕壁は春日部にて、後の当国春日部氏
は、この部(べ)氏の後なり。新編風土記に「粕壁宿は、もと太田庄に
属せしが、それより新方庄と唱え、後 転じて領名となれり。往古、
新田義貞の臣、春日部治部少輔時賢なる者、当所を領し居住せしにより
云々」と。
9,他
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