鹿 子 木 (カノコギ) |
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解説 |
肥後国飽田郡鹿子木庄より起こる。 |
1,大友
(中原)氏流 − − 大友系図に「大友親能−師員(姓 中原、肥後 鹿子木の祖)」と。又、中原系図に「広忠−忠順−師茂−師員
(大膳大夫、摂津守)」とあり。
又、鹿子木系図に「大友親能−師員 (大膳大夫、摂津守、事蹟通考 云う『按ずるに中原師茂の子 師員、同時、同名なり。親能の養子となるか、今、考える所なし』と)−師俊 (大学頭、書博士)−真房(安芸守、筑後 三池郡地頭に補せらる)−貞教(鹿子木次郎、肥後国飽田郡鹿子木庄の地頭職となる。よって家号となす )−貞経−貞基(大炊助。正平四年九月、河尻幸俊、詫磨別当宗直等、足利直冬を奉じて将となし、鹿子木大炊助が 拠る所の合志竹迫城を攻めてこれを落とす )−貞員−武員(近江守)−朝員−基員(摂津守)−重員 (摂津守、文明十三年八月、万句連歌に名あり)−重能−親員(参河守)−親俊(代々菊地家に仕え、親員以来は、大友家に従い、熊本城に居る )−鑑員(天文十九年八月十九日逝去)」とあり。 |
2,他、
* 「ルーツ発見・名字の由来」の
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