神   戸(カンベ・コウベ・ジンコ)

解説

神戸とは神社領有の戸を言う。平城朝には、諸国の神戸の数

七千有余ありたり。尚 神戸郷と云うも、諸国に少なからず。

現今 村名に残るものも多し。神戸市の如きも、八部郡神戸郷

にして、生田神社の神戸より発達せしもの。

この神戸の称も、氏として使用されしもの少なからず。

分派氏族

 

1,桓武平氏関氏流 伊勢国河曲郡神戸郷より起こる。関家の一族にして、桓武

       平氏と称す。関左近将監盛治(一説に忠興)の孫にして、左馬亮実治の

       長子なる豊前守盛澄、この地によりこの氏を起こすと云う。関系図に。

   関実治−盛澄(神戸入道柏厳と称す)−実重−為盛(一説に光盛、下総守)=具盛(下総守)┐
        ┌――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
        └長盛┬利盛
           └友盛=信孝(織田信長三男)

       背書国誌に「永六十年、織田信長と和成り、その三子 信孝を以って

       友盛の嗣となし、北郡を鎮せしめ、友盛を澤城に置く。信孝 城郭を

       修造す。天正十年、信孝、織田信雄と隙あり、信雄の臣 林與五郎攻め

       てこれを取り、神戸與五郎と称す。十二年與五郎 尾張に奔る云々」と。

       家紋 揚羽蝶、瓜。

2,服部流 − − 伊賀国神戸郷神戸村より起こる。服部平内左衛門家長の後なりと云う。

3,尾張の神戸氏 − − 当国中島郡神戸郷に神戸村あり。この地より起りしもあらん。

       又、葉栗郡光明寺城(光明寺村)は、神戸伯耆守の城にして、織田信長公に仕う。

       その後、山田半兵衛居住し、今、民家の宅地となる(尾張志)。

4,加賀の神戸氏 − − 加賀藩給帳に「五百石(丸の内に揚羽蝶)神戸清右衛門、四百石

       (丸の内に揚羽蝶)神戸金三郎、二百五十石(丸の内に揚羽蝶)神戸直次郎、

       二百三十石(丸の内に揚羽蝶)神戸内蔵太」とあり。

5,武蔵の神戸氏 埼玉郡の神戸村より起こる。古え 神戸三郎と云いし人

       当村に住す。

6,下総の神戸氏 −東葛飾郡に神戸氏あり。家紋、丸に三柏、先祖を神戸外記とぞ。

7,藤原姓魚名流 信濃の神戸氏なり。当国神戸郷より起こるか。家譜に

       「藤原魚名の裔、直澄十三世孫 為治の嫡子 良純の後」と云う。

8,越後の神戸氏 − − 河内谷仙見村 五剣獄城主に神戸備中守あり。「その養子 神戸太郎原茂の

       母は、楠正行の妻にて、内藤宮内の娘なり。宮内は、高師直に属す。正行怒りて妻を

       離別す。時に妻 孕む、その子 池田兵庫之介の養子となり、後、神戸の婿となりて、

       太郎原茂と改名せしなり」と云う。

9,美作の神戸氏 当国苫田郡の神戸村より起こる。漆間姓にして、立石元邦、

       大野、神戸、稲岡の三庄を領し、神戸大夫と称す。

10,他


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