金   沢(カナザワ)

解説

武蔵 常陸 信濃 岩代 陸中 陸奥 羽前 羽後 加賀 佐渡などに

この地名有り。奥羽では、多くカネザワと称す。

千葉県市原市、静岡県裾野市、愛知県知多市、鳥取県鳥取市

徳島県徳島市、新潟県栃尾市にこの地名あり。

この地名55ヶ所あり。

分派氏族

 

1,桓武平氏北条氏流 武蔵国久良岐郡金沢村より起こる。北条氏の一族にして

       金沢氏系図に「金沢実義(後 実泰に改む、金沢郷を領し金沢を氏とす)

       −実時(越後守)−顕時−貞顕(嘉暦四年四月十六日出家して、金沢殿

       と号す)−貞将」と。ェ政系譜に家紋、左三巴、佩玉。

2,清和源氏平賀氏流 平賀盛義の孫にして、有義の子なる資義も金沢を称す。

       信濃国諏訪郡金沢村より起こりしか。中興系図 この氏を源氏とし

       「金沢、清和、義光男 佐兵衛尉盛義 小次郎資義これを称す」と。

3,有道姓児玉党 武蔵七党の一にして、当国金沢より起こりしならん。

       七党系図に「児玉左大夫家弘−忠家−家綱−友定(号 金沢)−定知」と。

4,藤原北家大森氏流 − − 大森葛山系図に

       「葛山太郎惟忠−三郎景忠−惟清(金沢殿、号 金沢)」とあり。

5,清和源氏武田氏流 − − 陸奥国津軽郡金沢村より起こる。カネザワなり。津軽家の祖

       大浦氏の侍臣に金沢氏あり。可足記に「南部より後見 金沢右京亮と申す。威信殿の

       御子 元信殿、御子 光信殿の御代、金沢右京亮(家信)の娘を娶られ候て、金沢の

       名蹟に相成る」とあり。

       又、新撰国誌に「威信、尚 幼、南部の支族 金沢右京亮家光、仙北金沢より来りて、

       堀越城に拠り、津軽を後見す、金沢の子 家信もまた後見たり」とあり。

6,羽後の金沢氏 − − 当国仙北郡の金沢村より起こる。津軽一統志の一説に

       「光信公の祖父 右京亮は、羽州仙北の領主として金沢に在住」とあり。

       又、郡邑記に「六郷兵庫頭(二階堂氏の族)の婿 金沢権太郎この地に拠る」とあり。

       又、小野寺景道の子 孫三郎道秀も金沢城主なり。子孫、金沢を称すか。

7,岩代の金沢氏 当国河沼郡の金沢村より起こる。会津風土記に「玉井左衛門、

       金沢館に居り、金沢氏を称す」と云う。

8,加賀の金沢氏 − − 戦国時代 当国に金沢御坊(真宗本願寺の末寺)あり、後、佐久間盛政

       ここに金沢城を築く。この地より起りしもあらん。三州志に

       「文治三年、加賀国の武人 井上左衛門の従士に金沢源次あり。この者 金沢に

       住せる士なるべし」と。

9,他


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