今   井(イマイ)

解説

今居とも通ず、今井の地名は、大和国高市郡今井庄を始めとして

諸国に頗る多し(53ヶ所)、従って それらの地名を負いし今井氏も、

其の流少なからず。

新潟県長岡市、東京都青梅市、千葉県袖ヶ浦市、埼玉県熊谷市、

本庄市、長野県佐久市、同 松本市、同 岡谷市、静岡県富士市

愛知県犬山市、福井県大野市、富山県新湊市、岡山県赤磐郡、

同 新見市、同 上房郡、同 阿哲郡、福岡県行橋市に

この地名あり。

分派氏族

 

1,中原氏流 信濃国筑摩郡今井村より起こる。中原兼遠の子 兼平 この地に

       有りて、今井四郎兼平と称す。

       源平盛衰記 巻二十七に「木曽党には、中三権頭兼遠の子息 樋口兼光、

       今井四郎兼平、云々金剛禅師を始めとして、郎等 乗替しらず」とあり。

       又、中原師茂家記に「今居中原兼衡」とあり。

2,清和源氏泉氏流 −信濃国筑摩郡の今井村より起こりしか。泉小次郎親衡の遠裔

       なりと云う。後世、小県郡小牧に拠る者あり。又、水内郡にもあり。

3,飛騨の今井氏 − − 当国益田郡(今、萩原町奥田洞字今井)に今井城あり、今井貞信城主たり。

       三木氏の配下なり。その数代後、今井三次信孟、天正十三年、三木氏滅亡して後、

       民間に下ると云う。

4,清和源氏武田氏流 − − 甲斐国西山梨郡山城村今井より起る。武田系図に

       「武田(十三代)大膳大夫信満−今井左馬助信景−兵庫助信経」とあり。

       家紋、割菱、花菱。

5,児玉党 武蔵国児玉郡今井村より起こる。児玉党の一にして七党系図に

     児玉左大夫家弘−高家−行家−今井太郎兵衛尉行助┬経行−行経−経高−女子
                            └有助−助経−家経−氏家(家氏)

6,清和源氏新田氏流 上野国新田郡今井より起こる。尊卑分脈に

  「新田政氏−惟氏−惟義(今井五郎)−清義−五郎左衛門尉惟義−惟道−摂津守惟義┐
   ┌――――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
   └惟実−惟長−惟信−惟良(享禄元年武州入間郡に遷る)−惟辰−惟近−義陸┐
   ┌――――――――――――――――――――――――――――――――――┘
   └義安−義勝−勝正−敦正−兼正」と。家紋、丸に花菱、五三桐。

7,羽前の今井氏 − − 出羽の留守家にして「本姓丸子、又、丸岡(マロカ)」とも云う。

       鳥海山神の裔孫と称し、社司をも兼ねしとぞ。飽海郡本楯村新田目館に拠る、

       後裔を今井又三郎と称す。

       安倍氏筆余に「留守今井氏の祖は、丸岡民部大輔とて、一宮の社人にして、紋は

       丸の中に一引を用いたり」と。

8,越後の今井氏 − − 当国魚沼郡今井村より起る。この地に今井城あり。木曽義仲の臣

       今井四郎兼平ここに築き、その子孫遺りて部落をなす、今井村これなりと伝う。

       上杉景勝の家臣に今井源左衛門国広あり。源左衛門、上田妻有の城主、下平修理の

       後裔とあり、蒲原郡笹岡城主となり、会津 移封の際、岩代、猪苗代の城主となる。

       その他、古志郡 志賀春清の老臣に今井彦右衛門あり。

9,松平氏流 − − 能見松平勝隆(下総佐貫城主)の子 勝広、その子 勝房、今井を称す。

10,尾張の今井氏 − − 尾張志に「愛知郡岩作村東島、岩作東城、地方覚書に今井四郎兵衛

       ここに居る。当村東畠にあり、その跡、一段二畝歩なりとある、これなり。郷人

       今もその名を知れり、天正十二年四月九日、岩作篭城戦死の士に今井四郎三郎と云う

       あるは、四郎兵衛の子などにやありけむ」とあり。

11,佐々木氏流 近江国高島郡今井村より起こる。高宮信綱の裔 信綱、高島郡

       今井城を領して今井を称す。家紋 桧扇。ェ政系譜は、小笠原流に収む。

12,秀郷流藤原姓泉氏流 − − 系図に「泉八郎俊宗−十郎俊平−泉今井九郎俊景−泉今井九郎俊綱

       −六左衛門資綱−六郎入道宗俊−六郎左衛門遠俊」と。

13,近江の今井氏 − − 永正の頃、当国坂田郡に箕浦城あり、今井肥前守の居城と云う。

浅井家記に「永正七年三月十八日、今井肥前守、礒野左衛門大夫を梅原(坂田郡)の要害に留め置く」と。

同郡西円寺村に肥前守、同 権六等の墓あり。

又、江南粟津庄の西念寺に今井駿河守の墓あり、第8項の今井兼平の後裔と云う。

又、蒲生氏の家臣に今井久兵衛あり。

14,伊勢の今井氏 − − 当国奄芸郡の今井村より起る。一志郡八知村の今井庄兵衛家系に

「今井五郎惟氏、延元三年 南朝に仕え、北畠顕能に属し、今井村を領す」とあり。

今井村に今井氏の宅址あり、その址ならん(伊勢名勝志)と。

又、一志郡の太郎生村にも今井氏の宅址あり、北畠の臣 今井助之亟 拠ると云う。

15,大和の今井氏 − − 当国高市郡に今井村有り、この地名を名乗りしもあらん。

和州軍記に「今井村と申す処は兵部と申す一向坊主の取立たる新地にて候。この兵部、

器量ものにて、四町四方に堀を廻し 土手を築き、内に町割を致し、人を集め 家を造らせ、

国中へ商い等をいたさせ、又は、浪人を呼び集め候。然る処に、大阪一向門徒 逆意の時、

右の兵部も、今井に一揆を発し、近辺を放火し、相働候を、筒井順慶、仕寄にて

半年ばかりも攻められ、遂に落去せず。大阪扱になりて、後は今井も扱になり、

矢倉等をおろさせ、兵部は そのまま信長公より赦免、先規に替わらず、今井の支配仕り、

宗門を相続候。秀吉公時代も右の通りにて居住候」とあり。

16,和泉の今井氏− −茶人なり。堺の宗休 最も名あり。「永禄八年、茶具を信長に献じ、

天正六年茶を献ぜり。同十三年、秀吉北野に茶会を催す。時に堺茶家をして珍器を

その座間に置かしむ。宗休の秘珍茶具を以って第四となす。その子 宗薫 相続いて

茶道を善す。父子共に茶道を善するのみならず、時に臨んで間々忠節あり。故に所領

千三百石を賜う。千利休、宗休、宗薫を茶家 三宗匠と称せり」と。

       又、ェ文二年、今井宗圓 法行寺を再興す。

       又、養寿寺は永禄十年九月の開基、本願人は、宿院町 今井刑部左兵衛秀吉なり。

17,摂津の今井氏 − − 大阪府全志に

「住吉郡の我孫子城址は中央なる旧 我孫子神社のありし所にして、東西五拾間・

南北参拾五間の地、それならんと云う。攝津志には 今井兵部なる者の據りし所なりと

記すれども、その興廃の年月等詳ならず」とあり。

18,丹後の今井氏 − − 当国竹野郡の名族にして、深田村國久城は、今井駿河守知光の居城と云う。

又、下岡城主 高屋駿河守の陣将 今井秀直、高橋村山に拠る。これら今井氏は、

今井兼平の末孫と云う。

19,美作の今井氏 − − 今井氏 来歴に「人皇三代 安寧天皇の後胤 中原氏、後鳥羽院御宇、中原兼任、

信州木曽に住す。よりて木曽仲三と号す。その子 今井四郎兼平、文武兼備の良将なり。

朝日将軍に従い戦功あり。元暦元年、兼平、江州粟津原に於いて戦死の時、幼息 一人あり、

乳母これを抱き 深く信濃山中に隠れ、今井四郎兼次と号す。姓名を秘し、浪落の間、度々

善光寺に詣づ。兼次の嫡男 兼房、諏訪郡を領す。承久兵乱の時 戦功有り。兼房の末葉

今井安房守房清、元弘 建武の際、軍功ありて水内 佐久 伊那を領し、善光寺に帰依す。

その子 兵庫助兼重、故ありて 信州を去るの時、善光寺に詣で、一体の如来を負い、

作州に来り、勝北郡新野庄に住む。事蹟 弥陀霊庭記に載す。草堂一宇、金森山新善光寺と号す。

後、還俗して今井四郎左衛門兼重と号し、山名坊菴の幕下に属し、高野郷に食邑を賜う。

後、天文年中、今井善右衛門兼秀、尼子家の幕下に属し、その子 善右衛門兼忠、

宇喜多直家、秀家 父子に仕う」とあり。

又、系譜に「小四郎兼次 末葉 淡路守兼房、その子 安房守房清、その子 四郎左衛門兼重

云々、家紋、鳥居に泊り鳩、剣酸漿草を用う」とあり。

又、新善光寺縁故に「永徳二年の秋、今井兵庫介入道兼重と云う人、信州善光寺如来の

前立なる仏像を請じ来れり」とあり。

又、伝え云う「永正の頃、関東の浪人 今井新左衛門、尼子に属す。その子を

五郎兵衛と云う。真庭郡(森侯家臣 今井助十郎の子 今井助右衛門兼継の後とぞ)、

久米郡(兼家の子 新右衛門安春、尼子の家臣たり。その子 沼本治郎左衛門と称し、

その子 孫左衛門に至り 今井に復すと)等にもあり」と。

20,安芸の今井氏 芸藩通志に「賀茂郡白市村今井氏、先祖 今井左馬允平和、

       始め豊田郡梨羽村に住す。その子 兼久、小早川隆景に仕え、後、平賀氏に属し、

その子 兼忠、杵原村を領す。後、白市に移る。兼忠の弟  光忠、杵原に留まる」とあり。

21,伊予新居氏流 − − 伊予国周布郡今井村より起る。当地方の名族にして、予章記、

       越智河野系図、矢野系図等、全て新居氏の一党となし、浮穴系統の諸系図、

       伊予親王の御子 浮穴四郎為世の後とす。その子を経世と云う。今井系図に

       「経世十一代信氏、今井三郎と云う、源平の時、源氏方に参じ、所々 武功多く、

       周布郡今井庄を領す。故に今井を以って氏となす」とあり。

22,諏訪氏流 諏訪社五官の一に武居祝あり、今井氏と称し、大友主の後裔なりと云う。

後世、神家よりこの家を継ぐ。家紋 梶の葉。

23,他


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