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解説 |
伊賀国より起りし氏なり、和名抄伊賀国に以加と註す、又 伊賀郡あり、この氏多くは伊賀国に住居せしか、伊賀守たり し者の裔なれど、他国なる伊賀より起こりしもあり。 |
分派氏族 |
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1, 伊賀朝臣
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阿倍氏の族、伊賀氏の宗族にして、天武紀十三年條に「伊賀臣云々、
姓を賜いて朝臣と云う」と見ゆ。氏人は、天平三年の伊賀国正税帳に
名張郡司領外 正八位下 伊賀朝臣果安。
又、貞観六年八月紀に「伊賀国名張郡人左史生 従六位下 伊賀朝臣春野、
本居を改めて、山城国葛野郡に貫す」など見ゆ。
2,桓武平氏 − − 源平合戦の頃、侍大将に伊賀平内左衛門家長、平内兵衛清家など
有り。平家物語に「平 忠盛の郎党、もとは一門たりし平木工助 貞光の
孫、新三郎大夫家房の子に左兵衛尉家貞(家長の父)と云う者あり」と。
3,秀郷流藤原氏− −秀郷の後裔 朝光 伊賀守となりしより号す。
秀郷−千常−文修−文行−公光−公季−公助−文郷−光郷−伊賀朝光┬光季−┐
└光宗┐│
┌―――――――――――――――――――――――――――――――┘│
└宗義−光政−光景−光家 │
┌――――――――――――――――――――――――――――――――┘
├光綱
├光高
├光時−朝季−政季
├光義
├季村−秀綱−光綱
└実光
家紋、三つ藤巴。
4,清和源氏土岐氏族 − − 光基伊賀守たりしより始まる。尊卑分脈に「頼光四世孫、
土岐光信−光基(伊賀守)−頼基(清盛公の為に誅せらる)−光朝
−光胤(伊賀弥五郎)−光秀(伊賀四郎)」と。
5,清和源氏新田流 − − 新田系図に「大館氏明の子 氏清−氏隆−氏元(伊賀太郎)」とあり。
6,橘氏流 − − 伊水温故に「延文の頃の兵乱に伊賀権主橘成忠と云う者ありしに、河内国
交野の郷の住人 遠地(恩智)入道、南帝の勅命を蒙り、この国の楯岡山に立て篭もり
云々」とあり。
7,奥州の伊賀氏 − − 秀郷流伊賀氏なり。朝光の次男 式部大夫光宗、陸奥国岩城郡(磐城国)
好島庄の預所職を賜う。これより子孫 その地方に勢力あり。
系図は「光宗−光泰−頼泰(伊賀前司)」なり。
第3項の光宗の後なり。光泰は次男ならん。
8,常陸の伊賀氏− − 秀郷流伊賀氏なり。嘉禄元年 伊賀光季の遺領 塩籠庄をその子 季村に賜う。
又、鹿島文書に「嘉禄三年、鹿島社領 常陸国佐都東郡内 大窪郷住人等 云々、
地頭 伊賀判官四郎、代官 光依」とあり。
9,讃岐の伊賀氏 − − 讃岐山田下村に伊賀城有り、伊賀掃部守高光ここに居る。
高光は備前国人なり。貞治元年、高屋役に巧あり、細川頼之 賞するに
山田下村を以ってす(全讃志)。
10,備前の伊賀氏 − −秀郷流伊賀氏にして、太平記巻三十八に
「備前国住人 伊賀掃部助、伊賀掃部助高光」の名あり。
又、天正の頃、伊賀左衛門尉久隆あり、津高郡加茂小倉の城主たりしも敗れて
美作に移ると云う。一族 美作国真庭郡にもあり。
11,濃尾の伊賀氏− −康正二年の造内裏段銭引付に「伊賀美作守殿、尾張国堀津北方段銭」とあり。
又、美濃志に「本巣郡北方城は、伊賀伊賀守定重の長男 伊賀日向守守就、
三男 七郎左衛門の居城なり」とあり。
12,丹後の伊賀氏 − − 正応元年 丹後国諸庄郷保田数帳に「志楽庄、七町一段三百
歩(春日村公文分)伊賀治郎左衛門、川上新庄、四十町七反二百五十二
歩内二十町三反三百六歩、伊賀次郎左衛門、田村庄、十五町三百十五町、
伊賀備中守」とあり。
13,伊賀衆 − − 江戸時代 伊賀出身の武士を伊賀衆と云い,また伊賀者と称す。
甲賀衆と共に忍術にて有名なり。
14,他
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