保   坂(ホサカ)

解説

近江などに此の地名あり。

新潟県白根市にこの地名あり。 

分派氏族

 

1,倭姓 甲斐の名族なり。伝え云う、倭国造珍彦の遠裔にして、姓を倭連と

       云い、後世 保坂を族称とすとぞ。穴山氏の家臣に保坂常陸守あり。

       又、一條過去帳、明応五年四月五日に万歳の保坂六郎右衛門とあり。

       子孫 中巨摩郡寺部、又、山梨郡赤尾村、及び八代郡の名族たりと。

2,仁平(ニヒラ)氏族 武蔵国豊島郡の名族にして、新編風土記に「先祖を

       仁平三河守と称し、元亀二年六月二日卒。その子 某、慶長年中、氏を

       保坂と改め、その子 徳右衛門某、村内の新田を開発し、その功によっ

       て地頭より除地 一町八段一畝十歩の地を与え、世々名主たりしが、

       享保年中より今の名主 弥惣右衛門の家にて その職に代わりしと云う。

       弥惣右衛門は即ち徳右衛門の分家なり。また、昔は武器 古文書なども

       所持せしが、宝暦四年 災いにあって皆無となる」と。

       又、西ヶ原の名族にて、先祖を保坂大炊介と云う。大炊介は鉢形城主

       北条安房守氏邦の家臣なり。

3,他


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