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平 島 |
解説 |
阿波に平島庄あり、その他 筑後、肥前、薩摩などにこの地名あり。 国土基本地図に44ヶ所あり。 |
1、清和源氏多田氏族− −多田三郎高頼の後と云う。東鑑に「平島弥五郎助経」の名あり。この族か。
2、諏訪氏族− −信濃の名族にして、諏訪系図に「風間忠直の弟 若尾真家−兼家(平島先祖)」とあり。
後世、諏訪の平島氏は、丸に根笹を家紋とす。
3、桓武平氏 − − 日向の名族にして、日向記に
「新田義貞に組しける人々には、伊東藤内左衛門尉祐広、云々、右一族 穂北郡司
平島三郎以下党類、国富庄 河北富田郷政所に立て篭もる」とあり。
又、平島系図に「三郎太郎資通は上田島庄に居り、その子 二郎資平は串間郡司となり、
三郎資成は、穂北郡司となる」とあり。
又、日向記に「平島孫左衛門尉、平島新左衛門尉」などの名あり。
4、筑後の平島氏 − − 五條家文書に「平島八郎 丸名十一町、平島九條分」とあり。
又、日田家臣に平島主水あり。
5、豊前の平島氏 − − 当国仲津郡の名族にして、応永正長の頃、平島左馬佐あり。
6、清和源氏足利氏族 − − 阿波国平島庄より起る。足利将軍義澄の二男 右馬頭義冬 十代義植の
養子となり義維と称す。
足利系図に「義澄−義晴、弟 義維−義栄−義助(阿波国那東郡平島庄に居住)−義遠、弟
義次(平島又八郎)−義景−義辰−義根(文化二年阿波にて卒)」とあり。
その後は京都に住すと云う。
7、藤原姓 − − 阿波国平島庄より起りしならん。故城記 海部郡分に
「平島殿、藤原氏、家紋、丸中に藤の字」とあり。
8、他
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