日   向(ヒュウガ・ヒナタ)

解説

日向国は、和名抄に比宇加と註す、古訓ヒムカ、音便にて

ヒウカとなりし也。

その他 志摩 相模 武蔵 下野にこの地名あれど、これなどは

ヒナタ也。

福島県白河市、同 須賀川市、群馬県館林市、静岡県静岡市、

大阪府高槻市、同 守口市にこの地名あり。

国土基本地図に「ヒナタ」の地名は121ヶ所あり、

「ヒュウガ」の地名は8ヶ所あり。

分派氏族

 

1,日向君− −景行天皇の御裔にして、景行本紀に「草木命(景行皇子)は、日向君の

       祖」と見ゆ。

2,藤原姓 肥前の名族にして、高木氏の族人、日向の国司となり、子孫 その

       官名を称号とせしものか、と云う。平治の頃、日向太郎通良あり、平家に叛き、

筑後守平家貞に攻められ、敗北して斬られる。

       この通良の拠りし地は、肥前国高木郡島原多比良の地かと云い、一説に

       藤津郡白石の地かと云い、又、三根郡に白石の地ありて、日向太郎の

       城跡と云うものあり、と云う。

       遺事に「居易曰う、元暦元年、日向太郎通良、当国神埼郡坂本に下向し、

       後 嬉野、白石を領す。嬉野 白石氏の祖なり。弟 肥前権守幸通、頼朝の時、

綾部庄を賜り下向す。この地、大進坊の後なり。幸通の子

       小浜太郎通弘、綾部四郎通俊、藤木三郎通経、西郷次郎通秀等あり」と。

3,桓武平氏 − − 鎮西要略、日向太郎に多比良と註するより、平姓とするものあり。

4,河野氏族 − − 伊予の名族にして、越智系図 及び諸家系図纂に

(河野四十五代)通信、弟 通助(河野六郎)−頼久(村上左衛門大夫、日向守に任ぜらる)

−頼員(日向四郎)−教親」とあり。

5,近畿の日向氏 − − 延喜式、山城国の宇治郡に日向神社、大和国添上郡に大和日向神社、城上郡に

神座日向神社、近江国の犬上郡に日向神社あり。

これらを縁にし、日向氏を名乗る人もあらん。

6,信濃の日向氏 信濃佐久郡日向村より起こる。

       大永中、日向大和守昌時あり、武田氏に仕う。その男 新助虎忠、

       弥四郎秀泰などあり。家紋 丸に違鷹羽。

       甲斐国志に「日向氏は、もと、信濃佐久郡より起こる。大永中、日向

       大和守是吉、子息 新助虎忠、弥四郎秀泰などあり。その裔 大和守は、

       忠烈の士なり。その子に藤九郎、二郎三郎あり。又、玄東齋宗立は、

       もと新津氏、日向大和の妹婿なりと云う。その子 半兵衛正之(正成)

       至り、徳川氏に仕う」と。家紋 丸の内に違い鷹羽。

7,清和源氏小笠原氏族 上記の裔にして、初め新津氏なり。ェ政系譜に

       「右京亮(上杉家臣、信州佐久郡住)−右京亮−玄東斎(日向に改む)

       −半兵衛政成(伝次郎)−数馬政次(伝右衛門、半兵衛)−伝右衛門

       正知(庄右衛門、伝蔵)−半兵衛正方−同 正容」と。二千八十石余り。

       家紋、黒餅の内違鷹羽。

8,武蔵の日向氏 幡羅郡に日向村あり、この地より起りしもあらん。

9,会津の日向氏− −新編風土記に「会津郡中妻館跡、この郷の地頭 日向五郎明光と

       云う者住せしと。今猶、村人 館越と称す」とあり。

10,他


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