羽   川(ハネガワ)

解説

下野 羽後 越後などに此の地名あり。 

分派氏族

 

1,清和源氏 下野国都賀郡羽川村より起こる。新田氏の族にして、太平記巻十

       義貞挙兵の條に「越後国の一族、里見、羽川 云々」と。

       又、十六に「羽川越中守時房」など多し。皆 勤王の士なり。

       室町幕臣にこの後裔あり。羽川越中守、羽川左京亮などあり。

2,越後の羽川氏 上記は、一説に越後国魚沼郡羽川村より起こると云う。

       同村 高山城は、一説に琵琶縣城とも、或は羽川城とも云う。仁安二年、

       本間義秀、平氏の命を受けてここに築き、文治三年源義経 奥州に逃げ

       るに当たりここに與して城を壊す。後、元弘建武の頃、羽川刑部某

       これを修築す。正平二十一年、長尾景広ここに居ると伝え、又、当郡

       館脇城は、館脇村、後、上渡村にありて建武中、羽根川刑部 拠ると

       云い、また高山城(十四町)も新田氏の族 羽川氏の居城と伝えらる。

3,羽後の羽川氏 また羽根川とも書す。由利郡の名族にして、同郡羽川村より

       起こりしが、一説に第1項の族裔とも伝えらる。新編風土記に

       「羽川館主を羽川小太郎義植と云う。その先祖は、新田義貞の一族なる

       が、義貞滅びて後は流浪し、その子孫 義植に至り、当郡 羽川を領す。

       然れども、郎従多数にて、これを扶持するに足らざれば、専ら強盗を事

       として 年月を送りけり。天正十六年 秋田城介実季に加勢して、小野寺

       遠江守の先陣へ夜襲し、勝利を得、その後、赤尾津の二男 九郎の為に

       謀られて、仙北六郷を手に入れんと、非分の軍を仕掛けて、却って打ち

       破られ、その所領を九郎に奪い取られ、浪々の身となり果てたり。これ

       より九郎は当城主となり、羽川九郎と称し、由利諸将の列に加わる。

       徳政夜話に『赤尾津九郎は、羽川小太郎を追い落として、その城を領し、

       羽川主膳正と名乗る』とあり。その他、諸書に羽川孫市、羽川新助など

       見ゆ」と。

4,他 


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