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古 谷(フルヤ) |
解説 |
茨城県水戸市、千葉県印旛郡印旛村、静岡県小笠郡小笠町、 愛媛県東宇和郡野村町にこの地名あり。 尚、岡山県岡山市、福岡県田川郡金田町のは「フルタニ」と読む。 又、コヤと読む地名も12ヶ所あり。 |
1、武蔵の古谷氏 − − 当国入間郡に古谷村あり。新編風土記 多摩郡條に
「古谷氏(中野島村)。当村は、その先祖 道久の裔 祐右衛門と云うものの開墾せし所
なりと云う。その時の文書 今に蔵せり。祐右衛門は、慶長七年六月没せり。古谷、本氏を
中島と称し、その名字を以って村名とせしものなり。今の氏に換る故をしらず」とあり。
2、相模の古谷氏 − − 当国の名族にして、古谷栄一氏云う
「相模国中郡秦野に多し。元禄時代の小生宅の所有神社に収めたる机には『古屋』と
あれば、元は『屋』の字を用いたるものと認めらる。この一族は、甲州の古屋族の分派に
非ずやと想像さる。少なくも三百年以上 当地方に土着せることは墳墓や、その蔓延
状態にて明白なり。又、周囲に甲州武田氏の一族の逃れ来る者多きを見れば、斯く
推定する可能性多し。秦野と、武田領とは丹沢山を隔てて一重なればなり」と。
3、藤原姓 − − 常陸の名族にして、新編国志に
「古谷城は古屋と書す。藤原氏なり、昌義に属従せる諸士の内なり、元 京都の人なり。
佐竹家にて御相伴とて賞翫の家なる由 佐竹譜に見えたり」とあり。
4、紀伊の古谷氏 − − 続風土記に「日高郡芝村 地士 古谷仙右衛門、瀧村 地士 古谷兵蔵」の名あり。
5、伊勢の古谷氏 − − 江戸中期、古谷久語は国学者として名あり。勢州風土記残篇、南朝略史
などを著わす。その男 久七なり。
6、他
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