|
古 屋(フルヤ) |
解説 |
諸国にこの地名ありて数流の氏を起こす。 国土基本地図に43ヶ所あり。 |
1、清和源氏佐竹氏族 − − 常陸の名族にして、小田野本 佐竹系図に
「昌義−宗義(古屋依上)−義数」とあり。
2、伴姓 − − 甲州の名族にして、一宮浅間社の祠官なり。一宮文書に
「新御寄進となして駿河国富士郡押出村の内、十五貫の所を相渡され候。これを以って
神主装束以下、法の如く用意致さるべき者也、よりて件の如し。元亀三年三月五日、
原隼人佐 これを奉ず。甲州鎮守第一宮鑰取 古屋宮内少輔殿」とあり。
又、永禄元年の山宮棟札に「神主 降屋輿七郎重盛まで鎮座より五十八代とこれあり候。
神主 古屋右兵衛、社家 古屋玄蕃、古屋靱負、古屋蔵人、古屋和泉、古屋主計、(神沢村、
大蔵大明神社職を相勤め罷りあり候)古屋民部、(神沢村長 百姓にて社役相勤め罷在候)
萩原織部、(藤井村住居仕り、社役相勤め罷在候)神坐帯刀」とあり。
又、「文政九年八月、甲州八代郡一ノ宮村 一ノ宮浅間社 神主 古屋右兵衛印、真胤花押」と
あり。
3、甲州の古屋氏 − − 当国に多し。東山梨郡平等村落合に存す。
又、七里村千野の古屋氏は、元 降屋、鎌倉権五郎景政の後裔なりと云う。
又、松里村上井尻に存す。又、日下部村小原に存す。
又、八代郡御代咲村の古屋氏(土塚)は、甲陽軍鑑に「古屋惣次郎は 太郎義信衆なり」とあり、
賄人土塚の古屋惣次郎ならん。不正ありて永録八年に誅せらる。
又、古屋織部は、壬午の起請文に原隼人衆なり、壬午の後、井伊家に属し、子孫彼の藩中に
あり。後の当村区長 古屋惣蔵は、その胤なりと云う。
4、清和源氏武田氏族 − − 甲州山梨郡の古屋氏にして、武田信満の庶男 倉科信広より出づと云う。
四世孫 古屋左近丞満忠の男 満長、小原村にありて小原氏を称す。その弟 古屋兵部元春
なりとぞ。家紋、丸に三柏葉。
5、佐渡の古屋氏 − − 佐州役人附に「源姓、古屋与七郎」とあるのは、甲州より移りしならん。
6、佐伯姓 − − 筑前の名族にして、横田秀盛の弟 満蔵秀満を祖とす。これ祖先 佐伯昌助の旧邸に
居りしによる。箕島の古屋これなり。
7、加賀藩の古屋氏− −加賀藩給帳に「五百石(紋、三巴)古屋小源太。三百石(紋、三巴)古屋甚兵衛」と
あり。
又、美作植月系図に「与左衛門貞祐−長常(古屋甚兵衛、大阪町与力 古屋金左衛門長堅の
養子)」とあり。
8、他
* 「ルーツ発見・名字の由来」のトップページに戻る