古   市(フルイチ・フルチ)

解説

和名抄、河内国に古市郡ありて、不留知と註す、後に古市庄存す。

又、摂津国東生郡に古市郷ありて不留智と註す。

又、近江国滋賀郡に古市郷ありて布留知と註す。

その他 大和、伊勢、丹波、石見、豊後などにこの地名あり。

 

国土基本地図に44ヶ所あり。

 

1、清原姓 大和国添上郡の名族にして、東市村古市城に拠る。郷土記に

     「古市家、(清原氏、舎人親王の末孫。舎人廟所は、春日山の内、高峰『異本には高山と

     記す』にあり。知行七千石、紋は、菊に楓。勢は百七十騎、雑兵九百七十人、永禄十三年に

     破城)。古市安房守胤信、古市播磨守澄胤、古市安房守胤継、古市播磨守胤重、同 民部

     少輔胤慶(天文十年)、古市九郎兵衛、同丹後守、同彦三郎、古市七郎左衛門、同五左衛門、

     同左近胤重、同西之坊(三井寺の圓満院坊官)、同西光院(松永に組し、天正 改易、信貴の

     城亡滅後、山籠す)云々」とあり。

2、茶道古市家 始祖 古市播磨守胤栄(澄胤)は、足利義昭の臣、一説に古市城主 二万石を領すと

     云い、茶道を村田珠光に学び圓成坊と云う。その男 利庵、その男 紹意(圓乘)、その男

     了和(圓覚)は小笠原家に仕え、その養子 宗也(加藤清正の家臣 下野藤八の男 下野源右衛門

     勝悦)は、清風軒宗玄と云い、又 知庵とも云う。その男 二世 宗也(無元斎)なり。

     又、利休の門に古市左馬助あり。

3、河内の古市氏 当国古市郷より起る。中興系図に

     「古市。小野、本国 河内古市、野巻太夫経兼の男 七郎孝久これを称す」とあり。

4、伊藤氏族 伊勢の古市氏にして、度會郡古市より起こる。勢州四家記に

     「佐藤の長 古市与助、佐藤に叛き、鬼神岡城を取る云々」とあり。

5、秀郷流藤原姓佐野氏族 船越但馬守行藤は、後に、古市右京と称して、長尾家に仕う。

6、小野姓横山党 武蔵の名族にして、小野系図に

     「横山経兼−野七郎孝久−親保(古市野八郎)」とあり.3項と酷似す。

7、秦氏族 磐城国白川郡塙村 名主 古市久左衛門は 秦治右衛門の子孫なりと云う。

8、石見の古市氏 石見志に「小野妹子十九世の孫 古市親泰の裔。三隅氏家臣」とあり。

9、他


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