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福 岡 |
解説 |
諸国(46ヶ所)にこの地名有りて多数の氏を起こす。 |
1,日下部姓 − − 但馬国七美郡福岡村より起こる。
2,清和源氏 − − 源頼親の三男 頼遠の後と云う。中興系図に
「福岡、清和、三郎頼遠末流、石川分流、頼親の男」とあり。
3,長谷川党 − − 大和国式上郡の名族にして、法貴寺旧記に「金剛寺、佐味(平姓
長谷川党)、福岡氏なども当寺氏人系に之ある也」とあり。
4,福岡鍛冶 − − 備前国邑久郡福岡庄より起こる。
伝え云う「寿永年間、福岡に剣工あり、名を則宗と云う。則宗は古備前
長船の鍛冶 定則の子なり、而して則宗の技芸、父 定則の上に出づ。
これを福岡鍛冶の祖とす。則宗の子を安則、助宗、成宗と云い、安則の
子を末則と云う。又、助宗の子を助則、盛宗と云い、成宗の子を久宗と
云う。その他、親族及び門弟子に名匠多く、本邦に於いて利器を出す事
の多き、福岡の剣工の如きは、未だ嘗てあらざるなり。助宗は、作る所
の刀の中心に一字を彫る、よって福岡の一文字と云う。子孫、親族、
及び門弟子など、後世に至るまで皆 一文字と称す(工芸志料)」と。
5,赤松氏族− −豊福系譜に「納覚(播州豊福出生)−教平(福岡雅楽介
後 肥前守)」とあり。
6,備後の福岡氏− − 芸藩通志に「上布野村 福岡氏、先祖福岡彦右衛門は尼子に属す。
尼子氏、毛利と周防に戦いし時、彦右衛門も討ち死にす。弟 孫次郎と
両人、当郡横屋村水谷に来たり居り、鑪鍛冶を起こして、家業とし、
そのあたりを開墾して二十石余りの田となし、居ること六 七世、弥三左
衛門に至り、始めて当村に住す。今の幸右衛門まで十三代」とあり。
7,尾張の福岡氏 − − 愛知郡の名族にして、仁和三年九月、吾湯市村住人 福岡某、
白山神を勧請すと云う。
又、尾張志に「大草城(大草村西之島)の城主は福岡新助なりと云う」とあり。
8,和邇部姓 − − 三河国額田郡福岡村より起こる。富士系図に
「宇都次郎忠次(浅間大宮司)−同 十郎忠照(三河額田郡前木
住)−忠愛
(福岡源太、福岡村住)」とあり。
9,桓武平氏千葉氏族 − − 下総匝瑳党の一なり。当郡八日市場は、旧名 福岡にして、
老尾社祭事記に福岡禰宜、富谷祝などとあり。
10,土佐の福岡氏− −「五ヶ条の御誓文」の草案を由利公正と製作した福岡孝弟あり。
山内藩の重臣にして、幕末明治、国事に功多きを以って子爵を授けられる。
その子 秀猪なり。
11,他
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