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福 永(フクナガ) |
解説 |
近江 岩代
備後などに此の地名あり。 石川県松任市にこの地名あり。 |
分派氏族 |
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1,佐々木姓 − − 近江国坂田郡福永庄より起こる。当庄は、興地志略に「幸村、
中村、馬場むら、西村、東村、以上五村をいう。七村を福永新庄と云う
なり」とあり。
京極殿給帳に「五十石、(山奉行代官)福永與右衛門」と載せ、
又、蒲生家臣 福永長右衛門などあるは、この一族ならん。
2,阿波の福永氏 − − 当国の名族にして、古城記に「寺嶋城、福永佐渡守」とあり。
3,日向の福永氏− − 伊東家の重臣にして、伊東祐重、日向国下向の時、随従二十五
人の一人なり。当時 福永長慶などあり。
この氏人には「日知屋城主 福永新十郎」「日知屋衆、福永孫右衛門尉」
「日知屋衆、福永又八郎、福永周防守、福永新三郎、福永丹後入道周岱、
福永又四郎」「野尻城主 福永丹波守、高原城主 福永源左衛門、木脇城
主 福永民部四郎」「佐土原衆、福永四郎兵衛尉、福永清左衛門尉、
福永丹波守、福永五郎」など多し。
地理纂考 諸県郡野尻郷麓村條に「新城 並びに戸崎城、新城は伊東義祐
家臣 福永丹波居城なり。天正五年十二月、島津義弘これを攻む。丹波
戦わずして降りる。又、島津義久、戸崎を抜く」とあり。
4,他
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