福   井(フクイ)

解説

摂津 越後 越前 丹波 丹後 因幡 播磨 阿波などに此の

地名あり。

兵庫県三木市、岡山県津山市、同 倉敷市、同 総社市、

高知県高知市にこの地名あり。

分派氏族

 

1,菅家族− 美作の名族にして、福光(菅原支流)氏の裔なりと。

       久米北分平福城主 毛利元尊の老臣に福井山城守五郎大夫あり、その男

       九大夫、宇喜多の浪人 竹井又左衛門の家を継ぎ、後、福井に復す。

       その男 六郎兵衛家周なりと。苫田郡原の名族なり。

       又美作国真庭郡久世村の福井氏は、百五十六旧家の一にして、菅家帳に

       「真庭郡久世山方 福井和一郎満之、津山住 福井波治満義」などあり。

2,備前の福井氏− −富岡城主 浦上則国家臣に福井源左衛門あり、文明十五年十二月、

       その男 小次郎と共に、山名俊豊、松田元就の兵と戦う。

3,安芸の福井氏 芸藩通志に「佐伯郡古壘、口和田村にあり。村民、この墟を

       東城家とよぶ。城主を詳にせず。天文頃は、大内家人、福井五郎居守す」

       と云う。

4,清和源氏武田氏族 阿波国那賀郡福井庄より起こる。古城記、郡東郡分に

       「福井殿。源氏、武田、家紋 花菱」とあり。

5,土佐の福井氏 − − 当国高岡郡戸波郷岩戸村の井場城主に福井玄蕃頭あり。

6,肥前の福井氏 − − 深江文書、応安五年に「福井八郎 子息恩房丸を養子として云々」とあり。

その後、松浦波多氏の重臣にあり。福井山城、龍造寺の兵と戦う。

又、有馬世譜に「名護屋城主 志佐源次郎純正、病死す。これによりて、家人 福井世智原云々」と。

又、大村藩にあり、福田氏より 分かれると云う。

7,因幡の福井氏 − − 当国高草郡に福井村あり、この地より起りしもあらん。

又、八葉寺村の郷士に福井與七郎あり。

8,丹後の福井氏 − − 当国加佐郡の福井村より起る。その地の福井城の城主を福井藤吉と云う。

丹波志 氷上郡條に「福井氏、子孫 上竹田村八日市。今 七代、以前は丹後国より来る。浪人」とあり。

9,丹波の福井氏 天田郡の名族にして、丹波志によるに、もと加賀国人、北国乱に討ち負けて、

駿河国 牧と云う所に居住し、牧左衛門と云い、頼朝公の時、駿河国より六人来ると云う。

室町時代 幕府に仕え、細川両記に「御内の侍 福井四郎」などこの流か。

       又、丹波志、天田郡條に「福井氏。子孫 牧村。由緒 牧氏條下に在り、永禄の頃、

福井四武大夫、足利義昭公に従い、近江国勢田にて討死に、打出の浜近所に墓三つあり」と。

       又、人見系図に「天正年中、餘戸城、福井太郎、子孫多くあり、土佐守とも云う」と載せ、

見聞諸家紋に「井文字」とあり。

10,酒井氏族 − − これも丹波の名族にして、多紀郡の福井村より起る。酒井益氏の四男 氏盛の弟 秀吉、

福井を称すと云う。

11,摂津の福井氏 − − 当国島下郡の福井村より起る。伝え云う「当村 福井城は、建武元年、楠正成の

築きしものにして、守護代を置きて守らしめしと云う。後、応安七年、細川頼国、当国守護となるや、

また守護代を この城に置く。大永七年二月、細川高国の代、三好長元に陥らる」と。

見聞諸家紋に「違い鷹の羽、摂州の福井」とあり。

12,伊勢の福井氏 − − 伊勢神宮 地下禰宜家系帳に「天牟羅雲命十二世孫、二門、始祖 飛鳥二十八代 彌亀裔。

同血系、天見通命十七世 神主 石門十四代 孫 荒木田盛俊裔。同血系、飛鳥二十三世永用男裔」とあり。

又、外宮権禰宜家筋書に「福井、亀田末久の三男 福井末盛裔」と。

又、関長門守侍帳に「二百石 福井彌一右衛門」とあり。

13,清和源氏足利氏族 − − 中興系図に「福井、清和、足利左馬頭氏満の三代 左衛門尉貞国これを称す」と。

14,清和源氏支流 − − ェ政系譜に「京都医師碩安盈斎−立助啓発−主一郎承順、家紋、五七桐、丸に二引」と。

15,秀郷流藤原姓 ェ政系譜に「水野右衛門大夫忠政家臣 福井源蔵久継(三郎左衛門)−清蔵久勝(源蔵、

伝通院に従いて松平氏に仕う)−修理久次(家康に仕う)−宗左衛門久信−孫兵衛久富、

家紋 丸に矢筈、井桁」と。

16,他


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