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福 地(フクチ・フクジ) |
解説 |
甲斐国巨摩郡、信濃国伊那郡に福地郷あり。 又、大和に福地庄あり。その他 陸前、筑前にこの地名あり。 国土基本地図に17ヶ所あり。 |
1、桓武平氏 − − 伊賀国発祥ならん。拓植弥兵衛宗清の弟 宗俊の後なりと云う。
江戸系図に「拓植弥平兵衛尉宗清の子を福地の祖」とあり。
又、勢州四家記に「伊賀の国の住人 福地、信長公の幕下に参る」とあり。
2、和迩部姓 − − 駿河国の名族にして、浅間富士系図に
「大宮司義尊−義勝(富士六郎)−義邦(福地十郎)」とあり。
3、清和源氏武田氏族 − − 甲斐国都留郡福地郷より起こる。ェ政系譜に
「福地市左衛門信定−助三郎信氏、家紋、丸に三篠、霞菱」とあり。
4、信濃の福地氏 − − 当国伊那郡福地郷より起る。
承久記巻四に「信濃の国の住人 福地十郎俊政」とあり。
5、奥州の福地氏 − − 陸前国桃生郡福地村より起るか。
葛西家臣にして、葛西記に福地下総守の名あり。
6、肥前の福地氏 − − 肥陽軍記、天文三年に「龍造寺家臣 福地氏」とあり。
又、筑後軍記略に「天文二十年、肥前国士 福地主計允など龍造寺隆信に通ず」とあり。
7、九州の福地氏 − − 長崎八坂町の医者 福地源輔の長男に源一郎あり。蘭学、英学を修め、
安政六年、江戸幕府の外国奉行御用御雇に挙げられ、しばしば洋行して西欧新知識の
第一人者となる。 慶応四年、江湖新聞を発行して文筆にたずさわり、我が国新聞界の
先達となる。又、明治二十二年、東京木挽町に歌舞伎座を創建す。
8、他
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