藤   木(フジキ・フジノキ)

解説

羽後、上野、甲斐、紀伊などにこの地名あり。

 

国土基本地図に27ヶ所あり。

 

1、賀茂縣主 賀茂の祠官にして、賀茂注進雑記に「治承元年九月二十八日、藤木禰宜重保、

     権禰宜より神主に補せらる」とあり。その孫、江戸時代、藤木甲斐守敦直(三十五世)は、

     書道を以って名あり、書博士、慶安二年卒。

2、小川氏族 紀伊国名草郡福島村の名族にして、尾張国小川の城主 小川中務尉延純の後胤、

     小川四郎左衛門尉延春、赤松氏に属し、赤穂に篭城す。赤松満祐 自殺の後、当村に来り、

     その子 大次郎、藤木垣内に居る、それより藤木を称すと云う。

3、藤原姓日向氏族 肥前国の名族にして、源頼朝より、日向幸通、綾部庄を賜り下向す、

     その子に藤木三郎通綱あり。太平記巻三十三に少弐方の将に藤木三郎あり。

4、書家 細川幽斎の臣に藤木成定あり、医師にして武勇あり、後、書道に達し、駿河守、

     典薬頭に任じられ、その流を駿河流と云う。

5、他


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