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解説 |
越前の国名を負う者と、父祖の受領を称号としたる者なり。 |
分派氏族 |
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1,越前島津氏
− − 地理纂考 重富郷條に「元文二年、二十二代 島津継豊、その弟周防忠紀に与え食邑となさしむ。忠紀の祖先
高祖忠久の第二子を周防忠綱と云う。承久中、忠久
越前国地頭に任ず。忠綱守護代となりて、彼の国に住す。故に越前島津家と号す。その子
忠行、播磨国揖保の地頭職に任じ、その地に移る。子孫継承す。第十五代
左近忠長、天文三年
播磨国朝日山に戦死し、その家絶ゆ。よって周防忠紀をして その家を継がしむ。一説にこの時、旧名を改め重富と号す。重富は、越前国の
地名なり。それを取って名付くと云う」とあり。
2,越前家
− − 結城秀康(二代将軍秀忠の兄、結城家の養子)の後を言う。御三家に次いで勢力あり。
3,対馬宗氏流
− − 宗家の祖、知宗の五男(重尚の弟)に越前五郎あり。子孫
岡村氏と云う。4,他
* 「ルーツ発見・名字の由来」の
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