綾   部

解説

綾氏の部曲(古代の綾織<織物の一種>)ならん。

又、その地より地名起こる。

分派氏族

 

1,美作の綾部 和名抄 苫東郡に綾部郷あり、この地より起りしならん。

2,石見の綾部− 八重葎に「小田郷戸田村に綾部氏あり、柿本人麻呂の誕生したる

       地」と伝う。明和九年の人麻呂の碑に「今に四十世絶えず」と。

3,肥前の綾部 近古以来、藤原姓と称す。鎮西要略によれば

       「綾部四郎大夫通俊、奥州陣の際、神妙の御気色を蒙る、早く肥前国

       第一の御家人たるべし。科罪あるといえども、三度御免あるべしと。

       この事、東鑑などの書に見る処あるなし。然りといえども、その御判書

       炳焉、民部丞 平盛時の奉たり、伊平藤内に当る」と。

       又、豊後国図田帳に「下倉成名十六町、肥前国御家人 綾部小次郎道明跡」と。

       又、文治二年四月二十九日の大川記録に「宇佐宮領 云々、右件職等

       藤原朝臣幸房 先祖云々、四男 藤原朝臣幸明 云々」と載せ、正治二年

       二月の文書に「藤原幸明 譲与 藤原松熊、在 肥前国高木郡内、宮領

       肆箇所 云々、右件の浦田並びに空閑は、幸明 親父 綾部入道殿より

       譲り得 云々」とあり。

4,綾部毘登− −綾部の伴造にて、もと綾部首と称せし者なるが、桓武帝の御諱を

       避けて毘登とは云うなり。

5,因幡の綾部氏 毛利の家臣に綾部河内守あり、邑美郡橋本城に住す。

6,藤原北家河合斎藤氏族 尊卑分脈に

       「河合斎藤助宗−景実−実澄−範広−清範(綾部太郎)」と。

7,他


* 「ルーツ発見・名字の由来」のトップページに戻る