解説 |
加賀国能美郡に有名なる安宅(アタカ)あり、紀伊国牟婁郡に 安宅庄あり。又、阿波国(徳島市)にこの地名あり。 |
分派氏族 |
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1,紀伊の安宅氏
− − 牟婁郡安宅庄より起こる。橘姓と称す。安宅氏、観応九年、将軍義詮
花押の文書に「淡路国沼島以下 海賊退治の事」と。享禄年中、安宅河内守
安宅城に拠る。2,淡路の安宅氏−
− 上記と同族なり。紀州安宅氏所載 観応九年義詮 花押の文書に「淡路沼島の海賊退治の事を安宅一族に命ず」、これより一族淡路に
於いて多いに栄えたり。また由良の古城は、この安宅氏の拠りし地なり。
淡路常磐草にも「浦人の伝説に、文正の頃、安宅甚五郎居城すと云う。
安宅氏数世の後、摂津守冬康この家を継ぎしより三好氏の一族となりて、
天正九年に至りて織田公に降服せり」と。
3,阿波の安宅氏−
− 当国の安宅氏は、古城記勝浦郡分に「安宅殿。藤原氏、鎧の丸、田野浦村住居」とあり。正平の頃、安宅備後守あり十七年十二月文書に
「阿波国南方の関所並びに本所領を以って勲功の賞となして宛て行う所
なり」とあり。
4,三好流安宅氏
5,関東の安宅氏
− − 北條家臣に安宅七郎次郎あり、武蔵国山野下村を領せし事、小田原役帳に見ゆ。
6,加賀の安宅氏
− − 加賀藩給帳に二百石、安宅栄之助、紋、三階菱とあり。7,他
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