芥   川

解説

摂津国嶋上郡芥川村より起る、同地芥川城は南朝の士 芥川馬介

の築きしものなりと云う。後 三好長則この地を冒し、又出羽に

一派の芥川氏ありて、三流に分る。

分派氏族

 

1,桓武平氏流 −摂津芥川氏は、最初 桓武平氏なりき と伝う。

       南北朝時代 芥河右馬允あり、その子孫 散じて備後 駿河に住すものあ

       り。応仁記に芥川氏、見え。ェ政系譜には家紋、抱魚膓 と。

2,清和源氏小笠原三好氏流 室町時代 三好之長、その子 長光を芥川城(南朝

       の士 芥川右馬介の築きしものなりと云う)に置き芥川氏を名乗らす。

       三好系図には「之長(長輝)、次子 長則、彦次郎 号芥川」と見ゆ。

       南海治乱記には「永正五年、三好長輝、大内義興と戦い京都 百万遍寺

       において、三男 長光、五男 芥川長則と同じく自殺す」とあり、

       又、細川両家記に「芥川次郎(長光)、同弟の孫四郎(長則)」とあり。

       長光の子を芥川孫十郎と言う、三好家嫡流の長慶に叛す。天文二十二年

       八月九日、芥川城落ち、同二十五日、長慶 城に入る。これより当城

       三好氏の本拠となれり。

3,藤原姓 −摂津芥川氏は、最初 桓武平氏にして、後、阿波の三好氏これを継ぎ

       しなれば、源姓となるはずが、阿波古城記には「那東郡分、芥川殿、

       藤原氏、下の丸(家紋)」と見ゆ。

4,芸備の芥川 芸藩通志 広島塚本町芥河屋條に「先祖 孫右衛門寄白は、芥河

       盛林の孫なり。その先は、摂津芥川の人にて、中川原八郎左衛門資継の

       裔なり。盛林 始めて当国に来て武田氏に属す。武田滅亡後、寄家は、

       商人となりて、本府に住す。宅地を賜りて世々 広瀬組大年寄りたり。

       今の久五兵衛まで八代、家に福島正則の手紙、又同氏より所与の吉宗の

       刀を蔵す。町内桃平くら二家は、寄白の孫より分かれて共に同族なり。

       本支みな酒屋なり」と見ゆ。   *本支(本家も分家もと言う意味)

5,羽後の芥川− −由利十二頭の一、小介川氏(コスケガワ)を云う。矢嶋十二頭記、

       小介川を芥川と書し、矢嶋五郎満安の長臣に芥川摂津守あり。

6,他


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